WORKING FISHERMAN Vol.04

濱野水産 湘南丸浜野 展行

神奈川県南部、相模湾の海岸にある景勝地・江の島。古くは鎌倉時代より行楽地として知られ、江戸時代には島の弁財天が信仰を集め、江の島参りをする参拝客でおおいに賑わった。
また、片瀬海岸は「東洋のマイアミビーチ」とも呼ばれ、ダイビングや磯釣りの人気スポットでもある。浜野展行さんは、プロサーファーとして活動後、24歳で漁師となった。
江の島近海にてシラス漁をする傍ら、約80年続く老舗「濱野水産」の4代目として、湘南シラスの加工販売にも力を注いでいる。

家系は代々漁師で曽祖父が地引きをやっていました。その前は、定かではないけど、海で何かを運んでいたらしいです。
小さいころから、たまに船に乗っけてもらったりしていましたね。叔父が海の家をやっていたこともあり海にはしょっちゅう遊びに行っていました。

家はお店をやっていて忙しくて、叔父の海の家で過ごす時間がとても多かったです。そのうち自然と波乗りをするようになって、それからどんどんはまっていきました。
高校卒業したら、俺波乗りしながら、家の仕事継げばいいやくらいに思っていたんですよ。
そんな感じに思っていたら、高校3年になった4月ごろ、お店の仕事を手伝っていたら、「母にあんたどうするの?」っていわれて、みんな予備校行ってるんじゃないのって。
波乗りしながら、漁師すればいいと思っているって言ったら、母は、そうじゃなくて、遊んでてもいいから、大学でも行ったらって言われて。
それでその日のうちに予備校申し込んで。はじめは1年間勉強しながら、波乗り続けて。行ける大学に行けたらいいと思ってましたね。
大学には受かったんですが、入ってからもサーフィンばっかりしてて。でも波乗りをとおして、いろんな場所に行けました。
いろんな人に会えたことが、学校行ったことより、大きかったですね。
春休みや夏休みに1ヶ月ずつ休みがあって、国内で波乗りもいいんですが、もっと大きな波に乗って上手くなりたくて、インドネシアやカリフォルニアの海に行くようになりました。
外国ではサーフィンもそうなのですが、すごいいろんな人とつながれるし、いろんな生き方をしている人に出会えたんですよね。
頑張って大学には行きましたが、結局そこでの体験が一番勉強になったというか、今の自分の糧になっていますね。

大学ではあまり勉強をしなかったので、最後の区切りじゃないですが、大学を卒業間際にプロトライアルを受けました。
それで公認の資格をもらったんです。でも大学を卒業してすぐ船に乗るようになりました。
定休日もないし、サーフィンで遠征もできなくなり、まともにサーフィンをできる環境じゃなかったですね。
そんななかでツアーに2,3回行ったけど、やっぱり勝てなくて。自分みたいに漁師という"仕事" をしながらサーフィンやっているのじゃなくてサーフィンだけで食べていくって必死にやっている人たちにはどこか敵わない。
自分には仕事もあるし、思うように波乗りできない環境が嫌になってしばらくサーフィンから離れちゃったんです。
あれだけ波乗りしていたのが、一気に乗らなくなって。でもその間にいろいろなことを考えたりして。
その時に思ったんですが、人と比べる事を目的としたり、あの人に勝ちたいとか負けたくないとか、結局サーフィンって、そういう事じゃないんじゃないかなって。
そうしたら一気に気持ちが楽になったんです。
いままで波のコンディションがどんなに良くても、指をくわえて船から見てなきゃいけなかったりしたんですけど、そういうストレスもなくなった。波乗りできる時にやればいいやって思えるようになってから、漁への集中力が増したんです。
だから今の方がサーフィンを楽しんでますかね。人生の幸せ度が増した感じです。